医療法人社団 早川内科医院 H.H.GROUP

わたしたちのライフストーリー

Lifestory.01 母はとにかく意欲的で働き者で… これ程頑張って生きてきた人を私は知らないですね

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なみおとに通所されるまで森様のお母様 久子さんはひとり暮らしをされていました。「父が死んで20年くらいですが、人一倍働いて身の回りのことは自分でして、倒れるまで大きな病気もなく元気に暮らしてましたよ。」とご長男の憲一郎さん。

84歳で脳梗塞を発症

冬の寒い日、突然脳梗塞に見舞われ、緊急搬送された久子さん。
「あと少し遅かったら…」と医師に言われるも半年の入院を経て退院されました。
自宅に戻ったものの後遺症のため足腰はふらつき一人での生活は困難に…。
憲一郎さんはご家族と相談され、偶然近所に住んでいたそらり勤務の中川の勧めで、当時まだ完成したばかりの施設「なみおと」への通所を決められました。
「小学校のころからここに住んでいるからね、見知らぬところへ行くのは嫌だったし、よく知ってる中川さんがいたからね」と憲一郎さん。

久子さんは現在、脳梗塞後に発症した認知症が緩やかに進んでおられます。
「会いにいくと私のことを『かーぼ』って呼ぶんですよ。叔父の名前なんですけどね。段々分からなくなってきてる。でも帰る頃には思い出したのか手を握って『また来てね、絶対よ』って言うんですよ」

ふらついていた足腰は、なみおとのへの通所で驚くほどに改善され、元気で活発に毎日を過ごされている久子さん。
施設内のお散歩がお好きです。しかし稀に現在地がわからなくなってしまうことも…!
そんな時はスタッフが優しく誘導しています。
歌や踊りも大好きな久子さんは、クリスマス会などのイベントやアクティビティに積極的に参加され、スタッフとの語らいもとても刺激になっているようで、感動して嬉し泣きしたり、時には怒ったりと表情も豊か。
そんな久子さんに私たちスタッフも毎日和ませてもらっています。

本当に感謝の気持ちだけです。母が気持ち良く過ごせているのがわかるから。

「通所を始めたころは行きたがらなかったですよ、嫌がってました。でも今は同年代の同じ境遇の方々と触れ合うことができてとても楽しそうです。気持ち良く過ごせているんだなと思います。」と憲一郎さん。

「母は、私たちを育てながらタクシーの交換者や保険外交員、スナックも経営して、それこそ息つく暇なく母として妻として懸命に生きてきた苦労人です。生き様が映画になるんじゃないかってくらい!その母が今こうして皆さんのお世話になりながらですが元気に暮らしているのを見ると、本当に感謝の気持ちしかないです。介護なんて本当にわからなかったんです。でも聞いてみたら家でやるには大変で、自分にはとてもできないと思いました。それに母も子どもの世話になるのを嫌がったと思います。しっかり者の母でしたから…。それを何から何までお世話してもらって本当に感謝しています。」

母としても妻としても本当に立派な人、と尊敬の眼差しで話される憲一郎さん。
久子さんが気持ち良く暮らしていけるなみおとが今、第二の我が家として彼女の生活を豊かにしています。

Lifestory.02 そらりが父に 生きる意欲を持たせてくれています

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2014年のゴールデンウィーク、突然麻痺を感じ直後脳梗塞で倒れ、緊急搬送された達男さん。
あと一歩遅かったら…と医師に言われるも、なんとか回復しリハビリ病院に通い、本気でリハビリに取り組みましたが、自宅に帰れるほどには自立できず…。
当時85歳だった奥様も介助ができる状態ではなかったため、施設探しを始めたという敦子さん。

施設は人間性

ご自身も介護福祉士の講師というご職業柄、たくさんの施設の現状を目の当たりにしてきたという経緯から、施設選びには慎重だったとのこと。

「技術はね、専門ですからどの施設も資格のある方がいて技術があるんです。ですが人間性って施設によって本当に違います。たとえ技術が未熟でも心が温かく高齢者を大切にできる人。それを感じられることが、私たち家族にとってこれ以上ない安心感になるんです。」

介護と看護の連携が父を救いました

達男さんがそらりに通い始めて2年後の、2016年クリスマス。
楽しい催しが開かれていた日のこと、突然発熱されました。
「自宅にいたら、時期的にも『風邪かな?』ぐらいで気付かなかったかもしれません。そらりの主任さんが『何かおかしい』と気づいて、すぐに緊急搬送していただいたおかげで『急性胆のう炎』であることが発覚したんです。わからなかったら大変なことになっていたでしょうね…。それに搬送先もかかりつけ医のいる病院にしてくださって、すぐに適切な処置が受けられました。それもあの慌ただしい空気の中で適切な指示をしていただいた主任さん、看護師さんのおかげです。」
そらりは介護士と看護士の両方が常駐する看護小規模多機能施設。
いざというときの対応、病院との連携が密にできる強力な体制が敷かれています。
その後達男さんは順調に回復し、現在退院間近。
病床で「そらりに帰りたい」と毎日楽しみにされているそうです。

口から物が食べられる幸せ

「父はお酒とお魚が大好きで…食卓には毎日お刺身がありましたよ」と敦子さん。
脳梗塞後は、嚥下が上手く出来なくなり口から食べることも飲むことも叶わなくなってしまいました。現在は胃ろうの手術をうけられ経管で栄養を摂取されています。

「スタッフの方が『何か味の分かるものを…』と棒についた飴をくださったんです。それを口にしたときの父の顔は今も忘れられません。『おいしいおいしい…』って…」
以後スタッフは嚥下の弱まった達男さんのために、ゼリーやプリンなどの柔らかいおやつを毎日手作りしています。
「本当に感謝しています。献身的にしてくださって…口から物を頂ける幸せを父に与えてくださって…施設の中で父が大切にされているのがわかります」と敦子さん。
達男さんは、毎日おやつの時間を楽しみにされています。

そらりでの暮らしが生きる力に

達男さんはサラリーマンと並行して百姓で生計を立て、24年間市議会議員を勤められました。
「働き者の父でしたよ。とても尊敬していますし素晴らしい父ですが、実はとても寂しがり屋です。
忙しくしていて暫く会いにいけない期間があって…久々に会いに行くと、とても不機嫌で口をきいてくれませんでした。
でも帰るときには『帰っちゃいけん!』とかいうんですね。笑
その反面、たまに家に連れて帰るととても喜ぶんですが、夕方になると『そらりに帰りたい』って言い始めるんです。
おそらく父にとって、そらりが居心地がいいんでしょうね。
安心して身を任せられるってわかっているのだと思います。そらりを家みたいに思ってる。
現在、急性胆のう炎で入院してますが毎日のように『そらりそらり』と言っています。
私たち家族にとって、父がそうやって『そらりそらり』と言うのを見ると安心して過ごせていることがわかってとても嬉しいです。
本当にそらりを選んでよかったなと思っています。
スタッフの皆さんもとても気持ちの良い挨拶、笑顔で対応してくださいますし、安心してお願いできています。だから私たち家族も、ついつい足が向いて週に何度も面会に行って『こんなに来ていいのだろうか』と心配になるくらい…!でもみなさん気持ち良く対応してくださいますし、他の利用者様とも仲良くなってお話しさせていただいたり、本当に家族ぐるみの付き合いってこういうことなんだなと感じています。」

仕事のことや政治の話になると、現役時代の血が騒いで手に力が籠る達男さん。 「100歳まで生きる!」と意欲的です。
「ここでの暮らしが父にそうした生きる力を与えてくれました」と嬉しそうに語る敦子さんに、私たちスタッフも胸が熱くなりました。100歳と言わず、長く元気に過ごしていけるよう共に歩んでまいりたいと思います。